運を上げる明治のお話。 幸田露伴『努力論』からの考察

こんにちは骨格屋の増田です。日常の生活において「最近、なんてついてるんだろう」と思うとき、この「ついている時期をなんとか長持ちさせる方法はないか?」とうまいことを考えるのは人の常であります。

「運をあげそれを長持ちすることができる」という人もいれば「未来は決まっているのだから、そんなに一生懸命やらなくても」という人もいます。
私には本当のところは知りませんが昔の人は運をあげるためにどう考えていたのでしょうか?

日本を代表する作家の一人、幸田露伴がその著書「努力論」の中に「運をあげる人の共通点」が書いてありますのでその一部を紹介したいと思います。

「努力論:運命と人力と」より
露伴はこの世の中は成功者と失敗者に色分けされるものであり失敗者は失敗したいと願って失敗者になるわけではないが気がついてみると失敗者の側に立っている事が多い。では何がそれを分けているのだろうか?その法則を見つけ出そうとしました。

露伴は成功者と失敗者には次のような特徴があるといいます。
成功者といわれる人は自分の意思や知恵や勤勉や人徳の力によって好結果を収めることができたと信じており、失敗者は自分は何も悪くないが運命が悪かったために失敗したと嘆いている。
しかし運命そのものの本質は誰にもわからないものだからこの二つの解釈はどちらが間違っているというものではないと言っています。

ただ運命と人間との関係は、よく観察すれば把握することができ、ある程度の確率で運命を自分のほうに引き寄せることもできるのではないか。露伴は「成功者は失敗を自分のせいにするという傾向が強い」ということを発見しました。

露伴はこれを堤防の決壊という例を上げながら説明しています。

川が氾濫して左岸の堤防が決壊し畑が駄目になってしまった。一方右岸の堤防は決壊を免れそこにある畑も救われた。運と言ってしまえば決壊した左岸に畑をつくった人は運が悪かったと嘆き、右岸に畑をつくった人は運が良かった。そして普通はここで終わってしまうものであるが、もし決壊したほうの人が「この堤防が破れたのはなぜか」と考え「それは自分のほうが少し低地であったからだ」と気付くことができれば堤防をより高く築くとか万一洪水にあっても被害が少なくてすむ種類の作物をつくるなどの策を思いつきそれを実践すればその後の結果は多少違ってくる…ということだそうです。

私もこの本と出会ったのは数年前ですが、この露伴の発見を夫婦喧嘩に使ってみたことがあります。

だいたい夫婦喧嘩というものはどっちもどっちという事が多いものであります。

いつもは「自分は悪くない」と言いたいところですがここはグッと抑えて「自分に何かいけない所があるかもしれない、」と考え行動すると以外にことはすんなり運ぶものだとビックリしたことがありました。(平成にも十分効果あり!)

また、なにかうまくいかないときは自分の現状把握がしっかりしていない時や原因を他のせいにする時が多いということがわかりました。

しかし失敗を自分のせいにするのはとても苦しいもので、できれば見なくないものです。

露伴は「運のいい人が運を引き寄せる為に引っ張っている紐は決して手触りのいい絹糸でできているわけでなく、自分が傷つくような紐を引っ張っているうちに大きな運がやってくる。つまり失敗は何処か自分の思い至らない所があったのだと辛い反省をしながらやっていると良い運を引っ張ってくることが出来るのである。

逆に失敗したときにすべてを他人のせいにしていると自分が傷つくこともなく非常に気持ちがいい。それは絹で織った紐を引るようなもので引っ張るぶんには手触りも良いが引っ張られてきたものは不運であると…

「努力論」は大正2年に出た本ですが、今でも十分通用するものだと思います。

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